よさラボサポーターのヨシヒロです。どうも。
今日はよさラボメンバーから発せられた言葉で、なんだか僕の耳とこころに残った「ありのままでいいんだよ。」という優しい言葉について考えました。
チームの心理的安全性を高めるために必要なことのひとつは、チームメンバーのお互いの価値観(キャラクター、思想、得意なこと、苦手なこと等も含む)をまずは認め合うことです。
そんなことを十分に熟知したよさラボメンバーの中で、僕がたまに、
ヨシヒロ
こんなこと言うとアレなんですけど…
みたいな、ちょっと遠慮すると言うか、どこか「自分なんかが…」と卑下するようなことを呟くと、メンバーの「ありのままでいいんだよ。」という優しい言葉が返ってきます。
この言葉、捉え方を間違えるとチームの成長を止める言葉にもなりかねない?とも思うんです。でも、心理的安全な場においてメンバーがありのままで居ることを推奨することは、逆にチームや個人の成長を促すことに繋がります。その辺、ちょっと深掘りして考えてみます。
Contents
優しい言葉の魔力
「よさラボ」というチームは世界でいちばん心理的安全性の高いチームじゃないか?!と本気で思えるくらいいいチームなんですが、それでもやっぱりチームの中で「こんなこと言っていいんだろうか…」とか「自分が言える立場じゃないんだけど…」ということを思ったり呟いてしまうことがまだあります。
でもそんなとき、よさラボのチームメンバーから返ってくる言葉は「ありのままでいいんだよ。」という優しい言葉です。この言葉、ある意味すごい魔力をもった言葉だなぁと思うのです。
「僕はこう思う」と自分の意見を言ったり、「僕はこういう人間だ」と自分の内側を伝えたとき、「それもありだね」「そのままでいいんだよ」という旨の言葉が返ってくると、「あぁこれでいいんだぁ」とその瞬間には安心感?安堵感?のような感覚を覚えます。
この感覚を生むこと自体がある意味「魔力」だと感じるのですが、チームの中で使うこの言葉は、捉え方を間違えればチームを腐らせる原因にもなるように思います(言い方悪いけど)。
優しい言葉がチームを腐らせる例
以前に静的なチームと動的なチームという考え方を書きましたが、チームというのはある共通のビジョンなり目標なりに向かって活動する、それぞれの価値観を絡ませ合いながら活動する人たち(=動的なチーム)のことです。
静的より動的なチームがいいと思う理由ヨシヒロです。どうも。この「よさがみえるラボ」のWEBサイトは2019年の年が明けた頃から製作準備をはじめ、2019年4月3日の「合同会...
チームが目指すビジョンがメンバーみんなで共有できていなければ、「ありのままでいいんだよ。」という言葉は間違った捉え方をされかねません。そして、この間違った捉え方が行き過ぎるとチームをダメにする要因となります。
例えば、チーム全員である新しい活動を進めようとするときを考えてみましょう。その活動の内容に賛同できなくて、
自分はその活動をやりたくない!
と”ありのまま”にメンバーに伝えたとしましょう。そんなとき、チームメンバーから
そういう意見もあるよね。ありのままでいいよ。
と返ってきたとしたら、
あぁ私はこのまま何もしなくてもいいんだぁ。
と捉えられるかもしれません。あるいは、
私は反対意見をもったまま、反対している人のままでいいんだぁ。
と捉えられるかもしれません。
これから取り組もうとする活動に自分は反対だ、という意見を述べることは全く悪いことではないし、むしろ反対だと思っているのに言わない方がチームにとっては不利益です。言わないまま過ごしてしまうと、皆で活動していこうとしているときに気持ちのベクトルが揃わなくなってしまいますからね。それではいい活動になりません。
でも、もし上記の例のような捉え方をされたまま、その時点で対話が終わってしまったとしたら、きっとそれ以降もその感覚に慣れてしまい、チームとして全く成長しない状況に陥ってしまうと思うんです。
このまま何もしなくていいと解釈した時点で、それ以上考えることをやめてしまいます。その時点でその人の成長は止まってしまっていますし、そしてそんな人たちがどんどんとチーム内に増えてしまえば、チームとしての成長もなくなりどんどん腐っていく…
反対意見を受け入れられてからが大事
じゃぁどうしたらいいのよ!
と思いますよね。ポイントは、反対意見だからと言って何もしなくてもいい、反対したままでいいということではないんです。反対意見であることはその人の価値観だからそれはそれでOKです。そして心理的安全性の高いチームでは、反対意見をメンバーが受け止めてくれます。
その後、じゃぁ賛成の人と反対の人の意見を如何に統合していくのか。それを真摯に話し合わなきゃいけないと思うんですよね。
価値観の違う人が集まって賛成意見も反対意見も出せる心理的安全性の高い場のいいところは、本来はこういう話し合いの場を生み出せることだと感じます。もしかすると、多くの日本人は「反対意見があると”めんどくさい”」とか、「反対票を入れると周りから睨まれるから賛成にしておこう」とか思う場面が多いのかもしれません。
でも、議論や話し合いのきっかけが生まれるからこそ、次の新たなアイデアの種にもなるんですよね。意見が食い違ったときこそ、新しいものが生まれるチャンスだと思います。
自分が「これだー!」と思って提案した内容に真っ向から反対されたら、誰でも凹みます(笑)でも、凹めばいいんです。凹んだら一呼吸おいて、じゃぁ両者の主張を統合するにはどうすればいいか?自分が逆の立場だったらどうするか?など、様々な視点から考えてみれば、互いの意見を反映した答えが見えてくるのではないでしょうか。
ありのままでいられる場は成長をもたらす場である
あくまでビジョンを共有したチームの中での反対意見だということをきちんと認識できていれば、この「ありのままでいいんだよ」という言葉は自己肯定感を高める別の魔力を持った言葉になります。
反対意見、自分の考え、自分のあり方、これらは”悪”ではなく、ありのまま、そのまま、このチームに必要なことなんだと認識できます。人間は承認欲求を持った生き物ですから、ありのままでOKと認められれば素直に嬉しくなるものです。
そうやって意見を伝え合い、議論を深めることで、賛成派の考えもまた変わってくるかもしれません。反対派の意見を聞き入れてさらに改善した状態で活動を進めれば、チームメンバーの納得感が高く、モチベーションも上がるより良い活動になることは間違いないでしょう。
そうやって両者の意見を統合するように考えるクセが付いてきたら、チームという環境が、知らぬ間に自分が成長していける場になっているのではないでしょうか。一見相容れない賛成意見と反対意見があるときに、それを如何に統合するか。それを一生懸命に考えることは、間違いなく個人を成長させるように僕は思います。
「心理的安全性が高く、統合を目指そうとする動的なチームは、個人の成長を促すチームである。」
出ました、名言(笑)
おわりに
ということで今回は、「ありのままでいいんだよ」という一言にフォーカスして考えてみました。
チームで何か新しい活動をするときの例を出して話をしてきましたが、チームで何かをするばかりでなく、自分自身を内省するときにも当てはまる考え方だと思っています。
つまり、「自分はこういう考えだ」と主張したとき、「そうだね。そういう考えもあるね。ありのままでいいんだよ。」とまず自分自身の主張を認めてあげます。でもそこで、「ほら、やっぱり僕の考えは正しいんだ!どやー!」と思うのではなく、違う立場でこの主張を聞いたらどう感じるだろうか?と捉え直してみる機会にもなると思います。
「ありのままでいいよ。」という優しい言葉を「あなたはもっと成長できるよ。」という応援の言葉と捉え直して、自分自身を見つめてもっともっと考えを深めていく。そういう機会を与えてくれているように思います。
そんな貴重な機会をあ会えてくれるチームメンバーに本当に感謝です。ありがとう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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